東西魔術考
西洋の白魔術の講座から興味を持って色々調べているんですが、意外とアジアの呪術が面白いのです。
西洋って魔女狩りがあったのでいったん途切れてたりするようで、なぜこうしているのか、が良く分からなかったりするのですが、そういう影響がない分アジアの方が奥深いです。なんだこりゃ、というのもありますが。
東洋でも西洋でも魔術に理論があるのですが、一つ共通しているのが『人間の精神エネルギー』を使うという点。形式そのものよりもこのエネルギーが重要視されているようです。日本の昔ながらの拝み屋のおばあさんが、自分が教えられた「生麦大豆二升五合(なまむぎだいずにしょうごんごう)」を「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と指摘されてから、力を失ってしまった、なんていう話もあるようです。
わりとこの省略化の精神、受け継がれているようでお札だけ、とか呪文だけ、とかキャンドルだけ、とかという呪術とかも最近見かけます。でもとっかかりとしては十分かなあ…というのが私見です。
あと信仰はなくてもその魔術がどの宗教の呪術なのかは知っておくとはかどるかと。呪文一つにしても「ヨドヘーヴァウヘー」なら一神教ですし、さっきの「生麦…」でも元は仏教ですし。まあMUSTではありませんが。
ちなみに白魔術、黒魔術というのは明確な分類は実はありません。自分がいいと思えるならば白魔術でしょうし、明らかにまずそうだな…と思えば黒魔術となります。実は先ほどの宗教の概念がからむ関係で、こっちの宗教の人にはありだけどもあっちの宗教としてはなし、なんて判断されてしまうのがあるようです。とはいえ生き物を殺す呪術はさすがに白魔術とは言い難いですよね…当然効能もあんまりろくなもんじゃないです。
ちなみに私はこういう対象を呪う呪術って、直接相手に対峙した方が早いんじゃないかと思えて仕方ないです。
余談ですが、今知りたいのは毎日同じものを供える魔術で、供えた後のお供え物の処理です。当然食べるんでしょうが、毎日同じものが食卓にあがるのは厳しい…捨てるのももったいないし、隣近所に配るにも限界がある。現実的には消費できる分だけ消費して、あとは捨ててるのでしょうがもったいない気持ちが非常にあって試すのに勇気要ります。